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日本トレーナー界のパイオニア 岩﨑由純さんが乗り越えてきた困難なこと

日本トレーナー界のパイオニアとして約40年間スポーツ現場の第一線で活躍されてきた岩﨑由純さん。そんな岩﨑さんのインタビューを実施しました。
第2弾は「困難な場面に遭遇した際の乗り越え方」について伺いました。

第1弾はこちら
→ 「日本トレーナー界のパイオニア 岩﨑由純さん がスポーツトレーナーとして備えてきたこととは?」

「アスリートに寄り添い、整えてあげることが大切」

――岩﨑さんが経験した困難な状況はどのようなものがありますか?

先ほどの話もそうですが、僕たちには守秘義務があり、誰がどんな怪我をしたのかは、一切口外してはいけません。一方で、当時のチームに在籍していた日本代表選手が怪我をしたり、試合にでれなくなったりすると周囲が騒がしくなります。メディアの方々が当該選手の写真撮影を試みたり、守秘義務がある関係者のから証言を取ろうとしたり、その対応が大変でした。

そういった経験の中で1番大変だったのは、リーグの試合前夜のことの出来事です。当時在籍していたチームに日本代表選手が所属していました。トップアスリートにはアンチドーピングの観点から、居場所情報を登録するシステムがあるのですが、当時、国内リーグや大会に出場する選手は、JADA(Japan Anti-Doping Agency)の管轄で管理され、国際大会に出場するアスリートはWADA(World Anti-Doping Agency)の管轄で管理されていました。

そしてリーグ戦の試合前夜に突然WADAの検査官が来て、抜き打ちでドーピングコントロールの為に、当該選手全員のサンプル(尿)の提出を求めました。トップアスリートはいかなる時も、ドーピングコントロールの対応をしなければならない義務があるので、もちろん対応するのですが、試合前夜で食事やマッサージなどを終わらせ、就寝する直前のタイミングだったということもあり、寝る前の準備を全て終わらせている選手がほとんどですぐにサンプルを提出できる状況にはありませんでした。

結果的には事なきを得たのですが、全員のサンプル提出が済んだのは23時過ぎで、選手もスタッフも大きな負担を強いられ、これは本当に大変でしたね。現場では様々な想定外の出来事が起きますが、私たちトレーナーはその場に寄り添って、気持ちを整えながらアスリートを支えています。

当時、WADAの検査官はドメスティックな試合をやっているとは知らなかったと思います。なので、本当に大変なことでした。なので、あまり知られていないかもしれませんが、我々スポーツの現場のアスリート・スタッフは、常にドーピングとの戦いをしているかもしれませんね。

――ドーピングとの戦いとは、具体的にどういうことなのでしょうか?

国内リーグの場合、試合は全国各地で開催されます。その際、ドーピングコントロールの為に居場所情報を逐一報告しなければなりません。当時は登録する手続きも大変で簡単にできることではありませんでした。
そしてリーグ戦でのドーピングコントロールも試合のたびにランダムで行われていたので、口にするものや塗り薬にも気をつけていました。市販されている総合感冒薬や栄養ドリンク、禁止薬物が入っている薬は全て使用禁止です。そういったところもカバーしなければならないですし、居場所情報の提供もしなければいけなかったのは本当に大変でした。

――岩﨑さんがサプリメントや飲み薬、塗り薬などの使用可否について判断されていたのですか?

僕だけではなく、チームドクターも共に判断をしていました。アンチドーピングに関する勉強会も常時開かれていましたので、チームスタッフはアンチドーピングの知識を常にアップデートしていました。選手が間違えて飲んだからと言って、ドーピングにならないということは一切ありませんし、違反をすると当時は2年間の出場禁止になっていたので神経を使っていましたね。

(この続きは、第3弾に掲載いたします。)
(※画像は過去のイベントで撮影した素材です。)

プロフィール

岩﨑 由純(いわさき よしずみ)

NECレッドロケッツ現コンディショニングアドバイザー。アスレティックトレーナーとして、数々のスポーツ現場で活躍。1992年バルセロナオリンピックではバレーボール選手のサポートを行う。

アメリカ留学中に、ペップトークの迫力・想い・魅力を体感し、現在では、スポーツ・教育・ビジネスの世界に普及するため全国で講演会を実施中。

・日本コアコンディショニング協会 会長​
・トレーナーズスクエア株式会社 代表取締役社長​
・日本ペップトーク普及協会 代表理事​
・日本オリンピック委員会 強化スタッフ​
・日本アスレティック・トレーナーズ機構 前副会長​
・NSCAジャパン 元理事​​

資格・経歴

・全米アスレティックトレーナーズ協会 公認アスレティックトレーナー​
・日本体育協会公認アスレティックトレーナー​​

・スポーツ・フェスティバル(コロラド・スプリングス)(1983年)​
・ロサンゼルスオリンピック(メーカー派遣)(1984年)​
・オリンピック・センター(コロラド・スプリングス)(1984 – 1985年)​
・フィラデルフィア・イーグルス夏合宿参加(1985年夏)​
・NECバレーボール部 アスレティック・トレーナー(1986年 – )​
・全日本ジュニア・バレーボールチーム帯同トレーナー(1989 – 1990年)​
・バルセロナオリンピックバレーボール全日本女子帯同トレーナー(1991 – 1992年)

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